感性

もともと私は、子どもの頃から感性で曲を捉える質でした。しかし、最近その「感性」が、素直に演奏に出なくなっていることに、ある種の怖さを覚えています。
 

ふと気がつくと、音の一つ一つの並びを数字が並んだ美しさのように思えることがあって、それが様々なプロセスを経て音楽を証明し、形にして解決する喜びを感じている…ような状態にいる…その、構造から音楽を組み立てる作業をしていると…確かに音楽は意味を持ち、説得力のあるものに仕上がっていきます…しかし、何かわかりませんが、悩みにぶつかることが多くなって来たのです。何かが足りない、腑に落ちない、深く考え過ぎてしまう。もっというと、自分の演奏ではないと思えたり…。
 

今日、2つのことがありました。
 

朝、藤沢秀行棋士の囲碁打ちを見ていたら、ただの黒白の碁石が、そのひと粒ひと粒が生きているように見えてきたのです。囲碁のことはわかりません。しかし、碁石は生きているように、見えました。不思議。夢中になってしばらく見ていました。
 

そして、夜。バレエダンサーのスヴェトラーナ・ザハーロワのコンテンポラリーダンスを間近で観ていたら…黒い衣装で音符に化身したザハーロワの身体を通して、共演していた5名のダンサーの身体を通して、全ての音符が個性豊かに躍動し、舞っているさまを感じました。
 

棋士にダンサー、彼らには譜面などありません。打石の方法や振り付けは、導く人との会話から生まれ、それに幾多の練習、感性をもって形にしていく繰り返し。その結果「粒が生きている」となっていくのです。今日の見たものは、練習と経験によるある到達点に過ぎません。しかし、それが、碁石であれ、人間であれ、感性を通して磨き抜かれたものの先には美があります。
 

碁盤から、舞台から、美を感じたのです。
 

もっとも、数学的な美で音楽を考えることが悪いことでは無いはずだし、理論と感性、実際その両面があってこそ、ピアノという大きなパートナー楽器を奏でられるともいえるはず。…とすれば、私に今必要なのは…自然の音に耳を澄ませ、スピリチュアルな何かを感じ…もっと自分の感性に向き合ってみること…心に手を触れ、耳でまわりの音を深く聞き、素直に自らの感性を楽しもう。そういったことなのかもしれない。
 

喉元につかえていたものが、すーっと取れて行く感じがしました。少しずつ、また、モンポウが弾けるようになるかな。
 

夜に出かけたオーチャードホール近くの通り。神泉、なかなか味のある街でした。この写真は、娘の感性での一枚。
 


 

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11:54 PM , 27/09/2017 感性 はコメントを受け付けていません。
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