東北の復興

2011年3月11日、東日本大震災。
そして現MJスタジオ工事着工が
翌日の3月12日。
 

それまでMJは下高井戸の
とあるマンションの一室でした。
そのスタジオを知っているのは、
現MJ生では、もう、
大学生のYさんMさん、
2人のみになりました。
 

2017年(今年)7月末、
陸前高田に息子が出かけました。
復興コンサートに出演するためです。
 

2011年、
震災当日から約1ヶ月の間、
かつて幼稚園年中だった彼は、
メディアから目にした津波や、
荒れ狂う波とのまれる建物や車の画を、
私の手帳に
何枚も何枚も描きなぐっていました。
当時、彼の幼稚園の先生に、
それは彼の内面から
どうしようもなく沸き上がって来るものだから、
そのまま見守ってあげてください、と
アドヴァイスいただきました。
内面から流れ出たものを、
描きたいだけ描けば、
収束に繋がっていくのだ、と。
 

そして、6年経った2017年7月末、
小6の彼はその地に足を運びました。
 

陸前高田
◆「津波は水じゃなくて、
木やがれきを巻き込む
黒い壁なんだって」
◆「遺体はバラバラなんだって、
指の第一関節から先だって、
大事な遺体なんだって」
◆かつて賑わっていた漁師町や、
住宅地や商店街がね、
なーんにもない、盛り土をした
土地になっているんだ。
ただただだだっぴろ〜〜〜い土地。
 

道中、福島
◆「道に線量計があってね、
福島の原発に近くなると
どんどん線量があがっていくんだ、
で、遠くなっていくとまた下がる。」
◆「岩手は、
それでも倒れた家屋に手を付けてて、
復興が歩んでいる。
福島は、まだ手がつけられていない、
(入れない)
放置された場所も見えるんだよ
倒れた家もたくさん
それも、ずいぶん広い範囲で」
 

彼は復興コンサートで、
現地の方々、
仮設住宅に住む(住んでいた)方々と
交流しました。
バッハのチェロ組曲1番を演奏し、
その他、ヴァイオリンの千晶先生と
ずいずいずっころばしや、
スーパーマリオを演奏しました。
 

いやぁ、ここでも、
音楽に幸せを授けてもらいました。
というより、音楽に助けられたって
そんな感じじゃないかな。
息子くん。
 


 

陸前高田の方々には、
喜んでいただき、
とっても可愛がっていただいたようです。
このおじちゃまおばちゃまたち、
お隣にいそうな普通の方々ですよね、
未曾有の被害にあったにも関わらず、
とっても素敵な笑顔です。
 

興味が尽きないのは、
12歳が、
震災前後を感じて、
特に、ただ何にもない土地を目の当たりにして、
何を思ったのかということ。
 

大人であれ、
メディアを通してみるのと、
自分の目を通してみること、
あまりにも違うことなのは
わかっているけれど、
なかなか手足が出ない。
 

しかし、
このような体験があれば、
これからの未来に繋がる
一しずくの気持ちが
携わるような気がしてなりません。
特に、大きな未来のある子どもにこそ。
 

これからMJも、
考えていきたいと
思っています。
 

←前の投稿

地球の音を聞く

→次の投稿

CDロクオン

11:40 AM , 04/08/2017 東北の復興 はコメントを受け付けていません。
designed by fortissimo inc.