選択

今日はレッスン内容や音楽の話ではなく、受験前などに特に多くなる子どもたちの呟きのお話です。
 

先週も何人かの生徒さんからそんな呟きが生まれましたので、レッスンではこんな話も出ます、といった趣で、ご紹介します。
 

私は、音楽療法士や中高音楽教師は免状を持ち合わせていますが、カウンセリングのプロではありません。しかし、長いこと子どもと接していると音楽生活と思考は密接に絡んでくることを実感しているので、こういったことに敏感になります。
 

「子どもにこういったことで時間をとってほしくない。シンプルに考える力をつけて、シンプルに乗り切ってほしい」
 

どんなこと?
 

子ども曰く
「勉強のために習い事を休めって塾(や学校)の先生が言うんだ。意味分かんない。」
「テストで20点しか取れないのはヤバ過ぎるって」
 

はい、大人に仕切られたり小さなレッテルを貼られた「と感じた」という、ある程度お決まりとも言われる「子どもの悩み」のことです。返してみれば、大人はネガティヴな方向で伝えているのでは無いでしょうに。学校や塾の先生たちも必死なんだなぁ。今は特に中学受験前、先生たちも結果を出すために最後の追い込みですしね(何の結果は別にして)。
 

今までこういったケース毎年たくさん見てきました。その先生の立場が私で、良かれと思って伝えても感情ばかりが伝わり肝心なことが伝わっていないことを多々経験して来た。反省ばかりから生まれたMJ流対応、かもしれません。
 

しかし、言えることは、これ子どもがそんなに大事に抱えることでもない。気分的なものとも言える。でも、敏感な子どもたちは、肝心なことではなく、言われたそのままを考え込み、心にずっと残したりするんです。
 

例えば、(20点取った)オレってヤバい人?出来ない人?と人格問題と受け取り劣等感を感じてしまう。20点だったから、オレって出来ないヤツ、恥ずかしいヤツ、ではないのに。言った大人とすれば、日頃のことから、多分、ちょっと嫌みも込めて子どもに伝えたくなってしまうこともありますが、それが思うより子どもに敏感に伝わっているのだと思います。要は、20点とは目盛りなのですよ、子どもたち。
 

で、呟かれたり相談されたりした私はどうするか。
 

MJ流伝え方の極意??そんな大げさな笑。でもご参考になるなら。
 

子どもたちがそれを聞いて感じた気持ちを吐露した後、
 

・点数は目盛りであることを共有。その目盛りから次に必要なことを考える。
・習い事を止めなさいとは、分かり易いターゲットを作って勉強時間を作る提案しているのだろう。言い換えれば、あなた自身が時間と集中についてより考えなさいとアドバイスをしていると考える。
 

具体的には、
・点数…テストとは何かを確認する→学校や塾が設定目標とした範囲の理解度のためにしている。例えば学校であれば通常授業の理解度確認、塾だと志望校?到達点?例えばテスト結果が20点(/100点満点中)であれば残り80点分を理解するための勉強が必要。それをしないとどんどん持ち越しになる…というと「ゲー、やばい!」と主体的な意味での「ヤバい」になってくれます。
 

・その次に「習い事を休め」と先生が言った意味。これは、時間を作るための選択をしなさいとのアドバイスじゃないかなと思う、と伝えます。
 

ここで、本来ならば塾や学校の先生がここまで言う必要もないとも思います。その生徒の日頃の状況を鑑みた上での選択の具体例としての提案なんでしょうが、まぁ、上から目線、威力とも言えますし、半強制的に時間を作らせたところでその学びに興味や必要性が無ければ意味が無いですからね。
 

そうはいっても、子どもたちにしてみれば実際言われたことなので、そういう伝え方もあることを少し共有し、一方で本題を子ども自身と考えていく
 

【ここが肝心、本題へのプロセス】
 

以上のことから、まずは、学びについて自分に正直に分析する。
 


・興味のある学び
・興味のない学び
・興味は無いが必要な学び
・興味も無く必要もない学び

 

これらを出していくと案外自分のやることが見えて来るので、生徒さん自身も自らの生活を見つめ易いし、その結果、言われたことに納得出来たりなど、お悩み解決!となる場合が多いものです。前述の、20点!の生徒さんの場合は、20点の学問は興味はないが必要な学びだったので、ここの点数が低いので上げる必要がある!さて、どうするか、となりました。
 

【あとは子どもたち自身が考える!!!!!】

…そんなこんなで…
 

MJも習い事とすれば、音楽は芸術環境的なポジション、確かにテクニックや知識はスキルアップが伴いますが、音楽そのものは各々の世界観があって非常に柔軟性があって感情とともにあるもの、分類において塾等と一緒のカテゴリーではないように思います。しかし、芸術も学問となり得ますので(芸術大学は世界にごまんとありますし)MJ=学び分類の仲間に入れられます。それを子どもが選択した場合、その経過実績として現MJ大学生や、高校や大学から音高大へ行った生徒たちが挙げられると思います。
 

もちろん、自分には芸術よりもっと必要な学びがある、と、気づきがあった場合、それは紛れも無く学びへの集中だからいくら好きでも練習やレッスンに待ってもらうことは理解に難くありません。むしろそのくらいの心意気であれば、どちらも集中度が高く、いい生き方に結びつくとも思えるからです。現に高校3年までMJで学び、大学入学とともに巣立ってから、大学オーケストラ部で日々音楽に触れている生徒、日々頭をリセットしたりリラックスするためにピアノを弾いている法学部生、そして日々ライフワークとしてバルトークのミクロコスモスの演奏を欠かさない大人の生徒など…MJ出身の人々の中に音楽は紛れもなく息づいているのですから。そして、こう書いてきて、私は彼らから私の人生を豊かに育んでもらっていることを改めて大きく実感します。
 

いずれにしても、大人は、上から目線での仕切りなどの物言いではなく、子どもの学びが主体的なものとして、本来必要なものを子ども自身がシンプルに考えられるように、学びが興味あるものと感じられるように環境を整え準備して行きたいですネ♪
 

彼らの未来は広い。MJの生徒さんには、どんなときでも自分で考えて、一つ一つ努力して歩んで行ってほしいです。MJでは音楽を通して生きる力を共につけていきましょう。あ、ユーモアも忘れずにね!
 

←前の投稿

ムーミンとかけて音楽ととく…その心は?

→次の投稿

臨場感ある蓄音機の響き

11:08 AM , 18/01/2018 選択 はコメントを受け付けていません。
designed by fortissimo inc.