イケル!ピアノのレッスン

今日は、ちょっと大事な、イケてるお話、と思う、お話。

 
『子どもは生まれながらの芸術家で天才。そのまま、想像力を生かしてほしい。そして、真心から音楽を奏でられる人になってほしい』

 

そんな願いを、MJは持っている。

 
つまんなかったら、ごめんなさい。
でも、この話は、キミたちの未来に、
とっても大事で有効なことだと、MJは、思ってる。
 
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今の時代、デバイスや塾など、知識や情報が、今は、ちょっと手を伸ばせば、すぐわかる(経験してなくても)。

だから、すぐ、調べよう、教えてもらおう、となる。わたしも、すぐ手が伸びちゃう。

 

でね、教えられる、わかることに慣れると、考える力を「しまう」癖がけっこうついてしまう。

 

というのも、これって、実は、ちょっとつまんないことで、
不思議に思ったり、想像したりする力が、逆に薄れてっちゃってるんじゃないか、と。

考える時間を持たずに、結果を出すことを急ぎすぎているんじゃないか。

 

別の方からいうと、わかるってことがすごい、ってことになっちゃって、わかんない、から考えようってことに時間を与えられなかったり、ブブー、になっちゃってるってことになってる、的な。

 
つまり、どこでもドアの向こうが、ワクワク想像できなくなっちゃってる感じ?

 
ちょっと、いや、だいぶもったいないよなって。

 
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だから、ピアノのレッスンでは、想像することをとっても大切にしてる。成長期の子どもたちには、特に。

 

時間もかかるし、急げないことだけど、でも、とっても大事だって。

 

具体的には、初見=楽譜を見てすぐに弾くことをしたりとか、音楽を自分で作ったりとか、作曲家が作った作品も自分なりに想像して弾くってことを、とっても大切にしてる。MJは、そこに関しては「こうだよ、こう弾くんだよ、」などとアドバイスじみたことを決してしない(ように、MJでは注意してる。それでも先生、そうしちゃってるじゃん!ってキミが思ってたら、まだまだMJは未熟だ)。

 

MJのみんなは、よく知ってる通り、だといいな。

 

そんなこんなで、つまり、今のご時世、ピアノのレッスンはイケルんじゃないかな!なんて、本気で思ってる。

 

 

レッスンの時間は、とてもとても貴重。子どもにとっても、MJにとっても。

 

レッスンでは、たった30分から1時間で、その場で0から曲を作って奏でたり、楽譜を見てすぐ情報を脳に読み込んで、ビートに乗せて音楽を奏る。目を輝かせて、身体を揺らしたり、歌ったり、指を動かしたりしてね。

 

子どもたちは、もう、その短い時間内に、とてつもなく一生懸命やる。その状態は、誰にも、たとえ肉親にも、手出しはしてもらえない。もらいたくない。それは「自分だけの空間で起こること」だからです。誰の目も気にすることなく、うちなる自分との対話、そしてそこから生まれる表現=音楽なのです。

 

提案者のMJはそこにいますが、「それ」に取り組んでいる間は、子どもたちのアンテナにMJが入っていないこと、が理想です。連弾題材を使ってビートとかで「乗せる役」を買って出ることは、大いにあるけど!

 

子どもたちが集中するその数十分の脳内で起こることは、なんでしょう。音楽と脳科学の本なんかを読むと、シナプスが繋がったり、化学反応が起きたりしているのだ、といいます。そう、言えると経験上では確信できます。

 

 

「それ」に技術が加われば、つまり、その状態から一歩進んで「子どもたち自身の音楽」がもっと楽に表現できるようになる。子どもたちは想像することで「練習」に繋げます。

 

それが「練習」です。

 

その練習のための題材に、作曲家や自作の音楽を使う。そして、その「練習」は時間を取らないとできないことがあるから外部で、つまり、多くの場合は「家庭での練習」ということになります。MJで練習していっても、もちろんOKです。待合のピアノは、いつでも空いてます。みんなが使ってくれるのを、待ってます。

 

家庭での練習、は、家庭環境や本人の才覚の部分による、と考えられるのかな。

 

よく「才能」とか言いますが、才能といってもそれは楽器を弾く技術やセンスのことではなくて、練習に向いているか、とか、そういう部分が大きいと思う。もちろん、技術やセンスの部分があることは否めないけれど、どうしても「想像力を駆使しながらの、継続した練習」が大切になっていきます。能力とフィジカル、双方が大切だから。

 
ただ、これは、子どもの頃にわからなくても、大人になってから分かる部分もあります。だから、子どもに「こうしなくてはダメ」ということは、全くもってないこと。

 

 

ときどき。塾などが忙しくてピアノを弾く時間がとれない、というお子さんやご家庭に出逢います。

 

子どもの口からその言葉が出る環境って、なんだろう。

 

もっと勉強がしたいから!が多いかな。
それはそれで、とってもすてきだ。
ワクワクする。
(*とはいえ外部からそういった類のパワーを受けてたり、同調圧力だったり、誰かとの会話からそういう流れになっていたりしたら、それはこわい、と思う)
 

いっぽうで、MJでは、「知識をインプットする」塾と「想像力を使って表現をアウトプットする」ピアノのレッスンは、単純には比べられない、と思っています。

 
比較の土俵に上がらない、って言えるかな。

 

なぜなら、ピアノのレッスンは「生まれながらの子どもの才能、音楽性をアウトプットする機会の提供」、としているつもり。そして、想像力を豊かにする場、でありたい。時間芸術の音楽だからこそ、ともいえる。

 

だから、知識を呼び込む「学習」と「ピアノ・レッスン」は、そもそも異なるものじゃないかな。

 

だから、その二つのことは比較にはならない、で、MJの中では落ち着いている感じ。学習三昧な日々こそ、自己の内的表現のアウトプットの機会を!という提案、したいな、と思う。
 
と、これは「レッスン」の話。
 

 

ただ、時間のやりくりにピアノの「練習」とか塾の「勉強」の部分が入るとしたら、練習は、さっきちょっと書いてみたけど、ときどき環境的な部分もあるかもしれない。どうしても「練習」がしたいのに「練習」ができない、となると、それがストレスになってしまうから。

 

だから、そんな時には、「レッスン=アウトプット」だけでも続けてくれたら、人生のだいじなだいじな「思春期」に音楽マジックが響き続けられるよ、なんて思っています。練習の軌道に乗るのがいつなんてのは、キミにも大人にも誰にもわからない。待つ、しかない。

 

けど、練習しないことが過度なストレスや重圧にはなってほしくないから、そこのところ、難しい。なんとも言えないです。

 

それで身も心もつぶれそうだったら、それは何か問題があると思う。とにかく、無理はしないほうがいい。

 

ただ、それがご時世ということで片付けられたら、子どもは正直しんどいな。
いや、そう考えがちな大人が多いと思います。MJもいろんな場面で「時代だからしかたない」と思いがち。あー、反省。

 

よく考えてみると、その影響を受けるのは子どもだから。子どもの未来や核心を、実は大人のほうが考えていない、ことがあるかもしれない。

 

その前に、何かでつなぎたい。だから、子どもに話します。
ピアノ・レッスンはイケルのだ、と。

 

で、こういうブログになりました。
 

いちばん大事なのは、子ども自身が元気であることで、子ども自身が未来に向いて、正直であること。彼らの未来への道は、人と違う自分だけの得意を見つけることから始まる。それが、学問であれ、なんであれ。そのために、自分に素直な表現を真心からアウトプットする「音楽」、ほんとうに、役立つと思います。
 

音楽は、きっと、身を助ける。だから、レッスンだけでも続けてみて、と。

 

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人生においてこういう考えなければならない「岐路」ってこれからたくさん、間違いなくあるはず。

 

そんな時こそ、音楽は身を助ける、と身をもって思っている。

 

MJでは、みんなそれぞれを、それぞれのいちばんいい形で未来へ送り出していきたいな、と。
 
以上、たまには大事なお話、でした。

12:03 PM , 06/10/2023 イケル!ピアノのレッスン はコメントを受け付けていません
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