コンテスト

いやぁ、コンテストは緊張します。
出場学生はバクバクでしょう。
 
評価される状況の中でもオーディエンスにいい演奏を届ける
そういった気概を持った上で練習してきたことを存分に発揮する
チーム演奏で協働性を学ぶ

 

コンテストの意味なのだとは思います。

 

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あー、もっと温かい雰囲気の中で演奏させてやりたかった!

 

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MJの学生たち、頑張っていました。緊張していました。

 

彼ら、難曲に挑戦していました。
彼らの演奏した曲はポエムのようで、とても美しい曲でした。6/8拍子の、心地よい揺れるリズムが聞き手に情景を浮かばせました。
その色彩を表現することなども含め、演奏者はいろいろ果敢に挑戦していました。

 

心に響きました。

 

一方で、彼らの選曲はコンクール映えする曲ではなかったかもしれません。

 

舞台での楽器の向きとか、合わせるポイントとか、響きを活かすポイントとか、いわゆる音楽家的なツッコミどころはたくさんありました。しかしながら、それは私が音楽を仕事にしてきたから目や耳に届くことです。

 

大事なことは、彼らの表現が存分に表現されたかどうか。

 

もう、それで十分です。緊張の中で、十分、彼らの音楽は、伝わってきました。

 

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子どもの表現が評価されるは特に「音楽」ではやらないでほしい、のは正直なところですね。

 

「自由」な中で演奏してほしいです。

 

子ども、そうですね、私の中では思春期が終わる頃まででしょうか。思春期学生の音楽は進化性がとてつもなく大きく、また彼らの心はものすごく柔らかく繊細で大胆ですからね。

 

演奏内容は個人の練習はもとより、指導や環境によるところが大きいと思います。といっても、責任が指導者や環境にあるということではなく、全てが合わさったそれが「彼らの音楽」ということです。指導者によらず学生だけでやっている場合もあるでしょう。響かない部室で練習している場合もあるでしょう。楽器が鳴らない場合もあるでしょう。それでも全くいいんです。むしろそれらを、彼らが工夫して、彼らがどういう自分たちの音楽を奏でていくか。

 

どの学校の学生も、それでどうにでもなることがあります。

 

大事なことは、学生の演奏は何かを「評価」をする対象ではない、と思うんです。例えば、チームプレイなど協働性を評価するには、楽器や身体そのものを使う音楽などのように繊細な、つまり芸術になりうるものを対象にするより、他に適した形があると思う。ましてや「才能」の部分に優劣をつけるようなことがあることはNG中のNGだと思うのですが、どうなんでしょう。

 

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とはいえ、義務教育が終わった頃からは自分の生き方を社会に精査してもらうのは、ある意味あっても良いかもしれません。社会で生きていく力を身につけるのは、大事なことですからね。

 

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とにかく、音楽は、彼らには自由な環境で、自由に奏でてほしい。

「自由」に、いてほしい。

 

だから、コンテストじゃなくフェスティバルにしてほしい、と思うなぁ!
 
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とはいえ、これは私の個人的な意見にすぎません。
 

頑張った学生たちにインタビューをしたいなぁ。私からは何を言おうかなぁ。いや、言わないかもな。問いは投げかけるかもしれませんが。

 

あと、彼らの演奏で心に響いたことがあったので、それは伝えようと思います。次のレッスンが楽しみだ!

10:34 AM , 22/01/2024 コンテスト はコメントを受け付けていません
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