【発表演奏会によせて】
現在、MJ学生たちは、それぞれのペースで、練習に取り組んでいます。
間も無く、発表演奏会だからです。
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MJでは、学生たちの素直な表現を生み出すために、今の彼らの感覚や価値観を尊重することを心がけています。その時のピアノ、いい演奏でもそうでなくても、それはそれで貴重なんです。
学生同士でも、ソロ演奏はもとより、合奏では個々の表現を受け入れ、聞き合い、創造し合うことを、育みあっています。どんな状態でも。
一方で、保護者様におかれましては、諸ご心配はございますことと存じます。そして、この時期、学生へのお声かけは多くなると存じます。
MJでは「彼らの自由な表現=彼ら自身のアート」という観点から、ポジティブなお声かけは何ら問題ございませんが、くれぐれも何かとの比較や信頼の欠如に繋がる言葉掛け、たとえば…
「うちは練習しないから…」
「どうして練習しないの」
「どうしてできないの」
「もう少し練習してくれたらいいのに」
などが無きよう
…願っております。
それは、ともすれば、大人個人の価値観やステレオタイプとの比較となっている一方で、子どもの自由な表現を阻害してしまう危険性を孕んでいるとも思えるからです。
「子ども自身の持つアート力」を最大限に引き出したい願いのある一方で、その貴重なアート力は、周囲の環境から上記のような言葉を受けると埋没してしまいがちに感じています。大変身近な言葉掛けですが、気をつけたいものです。
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学生が練習しない理由は、練習の仕方や練習の必要性を感じない、経験がないからなどさまざまにあるでしょう。練習のない方が「パフォーマンス」と、今は思っている子もいるかもしれません。上級生になるとスケジュールが立て込んで思うようにいかない、もあるでしょう。それは、彼らが経験を経て彼ら自身が感じ成長していくことです。
練習すること、それは大人の思う仕方と違っても全然いいんです。つまり、彼らが感じて、初めて始まることだからです。その成長過程は彼ら自身がデザインしていくことで、そのデザイン力の育みとも言えるでしょう。
やってみましょう。表現は、自分にしかわからないことですから。何度も言ってしまいますが、その時のピアノ、いい演奏でもそうでなくても、それはそれで貴重なんです。
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一方で、各々それぞれに「達成感」は味あわせてあげたいと思います。
ただ、その「達成感」は完璧にちかく弾くことではないですし、何を持って完璧と言うのか、そしてそれに彼らはどう対応していくのだろうと常に学生もMJも自問し、考えていくことはレッスンでは常日頃から心がけています。その結果、各人異なる「無理」もかかるかもしれません。それが各学生がやりたくてやっているものであれば、MJは応援したいと思っています。
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今の状態を客観的にみること。そもそも「演奏」は非常に素直で、彼らの状態に直結し表現される最高に近い媒体で、彼ら自身にも「とてもわかりやすい」と思います。
それを彼らがどう享受し、感じ、考えるのか。また、そのことが、今後の彼ら自身の成長の糧になることを、教育上の観点からも願っています。
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MJ生の音楽に、比較は入りません。人がみていい演奏をするための発表演奏会でもありません。その時の彼ら自身の真心からの演奏表現、聞くことができますように。
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そんなこんなで、23日は、各楽生の真心からの音楽を、演奏者も聴衆も、フィルターなく素直に楽しみたいと思います。
あと2週間を切りました。
その間、元気に過ごせたらもうけもの。
もし風邪などひいてしまったり、その他何かあっても、歩んでいきたいものです。
MJ